
そもそも “保険”という考えが生まれたのは、紀元前2000年頃の古代バビロニアです。
西アジアのチグリス・ユーフラテス川の下流に位置するこの国は、くさび形文字や、天文学、法典など世界最古の文化の発祥地としても有名で遠方の国々との交流も盛んに行われていました。
そしてその際に物資の運搬を旅商人に頼んでいたのですが、彼らの中には依頼された物資を持ち逃げする悪い商人もいました。
そこでバビロニア人たちはこのようなことが起こるのを防ぐために、仕事が終わるまで旅商人の妻子や財産を預かって物資の変わりに彼らの大切なものを担保にとるというようなことが当たり前のように行われていたと言われます。
さらに、紀元前1800年頃の“ハムラビ法典”では “冒険貸借”の原形となるようなものや、災害時の相互扶助といった制度が見られます。
ちなみに“冒険貸借”というのは、船主や荷主が金融業者から航海のための資金を借り入れる際に船や積荷を担保として無事に船が帰ってこられたら元金と利息を返済し、万が一盗賊に襲われたり海難事故にあったりした場合には返済しなくてもいいというもので、“海上保険”のルーツとも言われています。
こうして保険制度は徐々に人々の間に定着していき、17世紀にもなるとロンドンでは“火災保険”“自動車保険”といった近代保険制度が始まりました。
“保険”は現代では親から独立する年齢になったら加入するのが当たり前のようになっていますが、このような科学的根拠に基く“保険”の考えが当時の思想家によって日本に伝えられたのは、幕末になってからでした。
彼は中津藩士の子で、早くから蘭学を学び江戸に洋学塾を開いていましたが、その並外れた才能と行動力が認められて数回にわたって咸臨丸で幕府使節の随行員として渡米し、さらにヨーロッパを1年間歴訪しています。
日本人の中でも随一の外国通として名の知れた彼の著書は日本の学者や実業家たちに大きな影響を与え、彼の門下生の一人によって日本初の科学的データに基いた生命保険会社が設立されることになりました。
ここでは統計データに基いて将来の危険率を算出し、保険金を割り出す方法をとっており現在でもこの危険率と保険料の計算は、すべての保険の基礎となっていると言われています。
保険Naviは、保険について解説しています。
"生命保険"の1つ"終身保険"は、生涯にわたって保障が続くもので、解約しない限り必ず死亡保険金も受け取ることが出来る保険です。

つまり、保険料払込満了後も生涯にわたって私たちを守ってくれます。
また契約から2年以内に亡くなられたときの死亡保険金は、すでに払込済みの保険料となっていますが、その原因が災害の場合は話が違って、契約時に定めた保険金が保険会社から支払われます。
つまり、契約の際に「何年後に解約するといくら戻ってくるというように」解約時に"保険金額"や"解約時の払戻金"が決まるために、一般的な"終身保険"は"定額終身保険"とも言われています。
この"定額終身保険"に対して、解約払い戻し金や保険金額が運用次第で減ったり増えたりする"変額終身保険""積立利率変動終身保険""利率変動終身保険"は、契約者が金利の状況や運用環境による影響を受けやすいという面があるために一般に保険料も安く設定されています。
"定額終身保険"が、運用責任をすべて保険会社が担っているのに対し、"変額終身保険"は保険会社にとってはリスクがなく、運用環境による影響を被保険者が被るために毎月の保険料も比較的安くなっています。
また、"終身保険"に限らずどの保険に関してもそうですが、保険が満了するまでは原則として保険料もあがりません。
本来なら"生命保険"の保険料というのは人の死亡率によって変わり、60歳まではその死亡率のカーブも比較的緩やかですが、年齢が上がっていくに従ってこの曲線も急上昇していきます。
つまり、保険料も年齢と共に高くなる必要がありますがこのようにいちいち保険料を増額させていくのは大変な事務処理を伴うので、掛け捨てのタイプでも解約返戻金のあるものでも全掛金を平均して振り分けています。
そのために保険料が若いうちに前倒しで支払われている場合も多く、解約返戻金を受け取れないタイプのものはこういう場合に何も残らないので、加入に際しては慎重に検討して納得しておく必要があります。
保険Naviへようこそ!保険Navi管理者、SATYです。

保険のマニュアルとしてお役ていただけましたら幸いです。